ひまわりのたね通信

御嵩町の亜炭坑跡視察

 今日は総務企画委員会が開催され、委員会終了後御嵩町洞地区にある亜炭坑跡を御嵩町役場の職員の案内で視察してきました。
 普通に民家があり、15メートルほど離れた裏山にあったその炭鉱跡は高さ2.5mほどで、ゆるやかに傾斜し25メートルほど進んだところで行き止まりとなっていました。

 いかにもひ弱な亜炭の柱で支えられいるさまは、いつ落盤事故がおきてもおかしくない様相で、こんな廃坑がいたるところに存在する事に一同驚きを隠せませんでした。

    

  写真は炭鉱の壁面ですが、亜炭がボロボロといつ剥がれ落ちてもおかしくない状況です。

    

 薄暗い坑内は灯りをつけても足元がおぼつかない状況で、当時の作業員も大変な作業だった事が伺われます。

    

 御嵩町の亜炭坑の歴史は明治2年に遡り、現在の中地区の亀谷吉兵衛と金子光助により持ち帰った黒い石が契機になり、掘られるようになったそうです。
 戦時下に、亜炭も配給統制化におかれ、航空燃料とするため軍直属鉱に指定されたりして、重油燃料が普及するまでの間活況を呈していましたが、その後需要は低下し、無計画な採掘・掘り尽しなどにより落盤事故も相次ぎ、昭和42年に全て閉山となった歴史があります。

 国策により進められた亜炭の採掘、その責任は何処に?誰が負うのか・・
分かりませんが、国・県は何らかの対策を考えなければなりません。
 脆弱な地盤の上で、何も知らされず夢のマイホームを建てた国民に何の責任があるのでしょうか?

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