昨日も健友会の総会に参加したり、体連の打ち合わせがあったり、市長との面談をしたり、夜は法人会で何かと慌ただしい一日でした。新しい出会いがあったことが大きな収穫でしたが、世間はゴールデンウィークを迎えていますが、私は社用も含めスケージュールは過密状態です。
震災の影響でここへきて首都機能移転問題が再浮上のきざしを見せています。このブログでも何度も紹介していますが、JC現役時代に首都機能移転と地域主権型道州制について意見収集のため、東海4県を渡り歩き全青年会議所の理事長やブロック役員との懇談を行ったことを思い出します。その結果、筑紫哲也さんのニュース23に出演することもできましたし、草野満枝さんや竹村健一氏、梶原知事とのパネルディスカッションを実行委員長として取り仕切ったこともありました。
残念ながら移転候補地の最終選定にまでのこりましたが、この話は自然消滅してしまいました。その陰にはいろんな状況があったと思いますが、私は官僚を中心とする国家公務員の抵抗が大きかったのではないかと推察しています。
カネ・もの・ひと・文化・経済などありとあらゆるものが一極集中してしまった首都東京、そのため政治、行政がそれらと複雑に絡み合い硬直化し機能不全に陥りつつある中で、災害時などのリスクを分散する意味でも重要な意味があると考えていた首都機能移転は議論を再燃させることになりそうです。それとセットで、地方分権の形もしっかりと議論し推し進める必要があり、震災復興と同時進行で進めてもらいたい問題です。
私は以前より、国の政治統治機能(中央政府)が東京になければならないとは考えていません。
経済とは少し距離をおいた場所で、淡々粛々と政治を行えば自ずとクリーンな政治となるし、省庁の無駄の削減にもなります。
また、現省庁の跡地利用なども有効に行えば、その経済効果も計り知れないものになるのではないでしょうか?
この際、東北地方に移転すれば復興も含めて、いい結果がでるような気がします。・・・・・・・どうでしょうか?
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首都機能移転の契機
法的には1992年に「国会等の移転に関する法律」が成立し、この法律に基づき候補地の選定等の準備作業に入ることになる。1995年の地下鉄サリン事件で霞が関をはじめとする都心中枢をテロが直撃したことも、首都機能移転論が盛り上がる一助となった。
1999年12月には「国会等移転審議会」が候補地として3地域を選定した。
移転先候補地
北東地域の「栃木・福島地域」
東海地域の「岐阜・愛知地域」
移転先候補地となる可能性がある地域
「三重・畿央地域」
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