ひまわりのたね通信

議会改革の推進

 昨日は慣れない挨拶回り(多治見〜東白川村まで計20か所)で疲れてしまい、不覚にも9時前に寝てしまい今朝は3時前から目がパチリ(@_@。長い一日となりそうです。犬山市〜羽島、岐阜市へと挨拶周りは明日まで続きます。

 暗いうちからインターネットで議会改革に関する情報を収集していたところ、同じ考えを持つ市議会議員さんのブログを発見しましたので、一部紹介します。


議会内で自分の意見や提案が通らない。

そのことをブログや後援会誌等で、
「アホな議員が多くて。。。」と、
同僚(他会派)議員を批判し、
有権者から共感を得る。

同僚(他会派)議員から、
ますます反感を買い、
正論でさえも通らなくなる。

自分の後援者を中心に、
例えば「議員定数の削減」の署名運動をしたり、
そのことをメディアに取り上げてもらって、
世論を形成し自分の意見や提案を、
強引に議会で通そうと躍起になる。

こんなことを繰り返しても、
“議会改革は全く進まない”
ということに、
そろそろ気づいて欲しいと思います。

なぜなら、
僕自身が、そうであったからです。

今から13年前、29歳で初当選した僕は、
当時、ひとり会派でした。

現職の議員や会派、
議会の仕組みを批判することで、
一部の後援者からは賞賛され、
ヒーロー気分でした^^;

しかし、今から振り返れば、
これは単なる勘違い野郎に過ぎなかったのです。

1期4年間、
自分なりに一生懸命活動をして気づいたことは、
1)議員(個人)の活動
2)選挙のための活動
3)議会(組織)としての活動
をキチント棲み分けなければいけないということでした。

そこで2期目からは、
僕は自らお願いをして、
最大会派に入りました。

議会は、合議制の「議事機関」です。
※詳細は後述します。

どんなに自分が素晴らしいと思った提案も、
少なくとも過半数以上の議員から、
賛同を得ることができなければ、
それは単なる独りよがりの意見にしか過ぎないのです。

自分の提案が同僚(他会派)議員に、
受入れられなかったということは、
同僚(他会派)議員が悪いのではなく、
明らかに自分自身の提案能力の欠落によるものです。

そのことをブログや会報誌で訴えることは裏を返せば、
「私には議会という組織に対して提案説得能力が欠けています」と、
言っていることと同じことになります。

日本国憲法の前文には、
民主主義とは主権在民であるということが謳われています。
さらに93条には、
「地方公共団体には、法律の定めるところにより、
その議事機関として議会を設置する。 」と記載されています。

議会は議決をするだけの機関ではなく、
「議事機関」なのです。

「議事機関」の権限は、
1)立法権限/条例制定
2)行政的意思決定権限/地方自治法96条1項及び100条
3)行政監視権限

そして、
「議事機関」と「執行機関」は、
対等・協力の関係にあります。

つまり、
議会と執行部は対等ですが、
議員個人や会派と執行部は対等ではないのです。
このことを皆さんは大きく誤解していませんか?

市民のための議会改革は党派会派を超えて、
市民の声をよく聴いて、
議会がひとつ(チーム)となって、
取り組んでいかなければいけないのです。

一方、議案や意見書等の賛否については、
議員や会派・政党間で、
論点や争点を明確にして議論すべきです。

「議会改革の先にあるものは何なのか?」

まずこのことについて、
議会内で党派会派を超えて、
共通認識をつくらなければいけません。

いわゆる議会としてのゴールイメージ(目的)を設定し、
目標設定や達成のための手段について、
組織としての“意思決定の基準値”を明確にしておかなければ、
議会内では総論賛成各論反対の不毛な議論が続くのです。

また、
価値観の多様化した現代で、
「全会一致でなければやらない。」
という全体主義的な誤った民主主義の認識を改めて、
過半数以上の賛同があれば、
「とりあえずやってみる」
という気概や議会内の雰囲気(風土)が、
醸成されていかなければ、
いつまでたっても、
議会改革の一歩を踏み出すことはできません。

以上のことを整理するには、
議会で議会基本条例の制定をすることが、
結果的に一番の近道だと僕は思っています

 私と全く同じ考えです。議会改革に「時期尚早」という言葉必要ないし、全会一致が無理であるなら議論を深めた上で、民主主義の原点多数決でも時には強引となっても進めなければならないと確信しました。

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