野田総理と谷垣総裁が、党首討論を前に密会し談合をしたのではないかと騒ぎになっています。それはそれでいいのではないかと思いますが、何をどう談合して、そしてどうするのか?を明確にし、政治が停滞した責任をとってそれぞれ辞任した上で、新たなマニフェストを掲げ新しいリーダーの下で解散総選挙を行うべきです。
福島原発事故独立検証委員会は、民間の原発事故調査を行った機関で先日その内容が公表され、国権の最高責任者の浅はかさと稚拙さが国民の前にさらけ出された格好となりました。
中でも私が感じるところは、側近や閣僚の誰もが引き止めようとした被災地視察当日、自衛隊のヘリコプターに何故TVカメラクルーを同乗させたのか?本来なら自衛隊幹部や消防・警察幹部を、いち早く現場視察させるのがトップの行動であり、誰もが当たり前に指示する事ですが、菅総理はよりによってTVクルーを同乗させ自身の視察の様子を録画し放送させました。
被災地に対する情報収集や状況判断のためではなく、自身の保身のために無理やりTVクルーとともに被災地視察をしたとしか思えない行動をとってしまいました。
次に沖縄問題では、迷走を続け膠着状態となってしまいました。民主党のマニフェスト違反には慣れてしまった自分がいますが、沖縄問題はマニフェスト詐欺で済ませる問題ではありません。
以下鳩山政権時の沖縄問題に関する報道記事
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米軍普天間基地の移設問題。8か月もの迷走のすえ結局、辺野古沖の埋め立てに 戻ってしまった。番組は、14年前に橋本元首相が電撃的に日米合意に持ち込んだ 普天間基地移設の秘話を取り上げた。浮き彫りになったのは『首相の器』とは何かということ。
秘話を語ったのは橋本政権発足当時、経済企画庁長官だった田中秀征。それによると、 米海兵隊員による少女暴行事件を契機に沖縄県民の怒りがピークに達し、米軍基地の撤廃 運動に発展した96年1月、自民・社会・さきがけの連立による第1次橋本内閣が発足した。 橋本が掲げたのが「米軍基地の整理・縮小を求め、その解決に全力を尽くす」だった。
1か月後、当時のクリントン大統領との首脳会談で、橋本は外務省の反対を押し切って普天間基地返還を要請する。橋本の『本気』を見て取ったクリントンは、国防長官に「検討せよ」と指示、 わずか2か月後に日米合意に達したという。
米国から帰国した橋本と田中が2人きりになったとき、橋本は返還要請した経緯について田中に 次のように洩らしたという。 「沖縄の人たちが可哀そう過ぎるもん。戦争中も戦後も、われわれの犠牲になってくれた。できるだけのことをするのは当然だよ。言うか、言うまいか、眠れなかった」 田中は「それを聞いて、それまでのポマードを付けたキザな人という印象で片付けていたけど、一変した。橋本さんに対する評価、総理の真情を見た」という。
さて、問題はここから。鳩山首相は当時、新党さきがけ代表幹事として政権与党にいて、 沖縄基地問題の協議にも参加していたという。 田中は「与党の中枢にいたわけだから、その合意には当然責任がありますよね。その方向から 近づくならいいが、卓袱台ひっくり返す感じになった。勉強が足りなかったなら、(総理に) ならなきゃいい。総理は勉強するためにあるんじゃないのだから」と斬って捨てた。 沖縄に15回も足を運んだという橋本に対し、鳩山は今回わずか2回、それも2回目は『辺野古回帰』だ。
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野田総理は前任の2人の総理の尻拭いをさせられている感がありますが、小沢氏と鳩山前総理との党内亀裂は決定的であり、当の小沢氏にいたってはマニフェスト違反第一号(暫定税率廃止反対)であるにも関わらず、出来もしないマニフェストを持ちだして政局をまたまた混乱させているクレーマーとしか映りません。
とにかく、どちらにしても政治の膠着状態を解消するためにも解散総選挙は不可欠なことだと思いますが・・・・・。
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