「来て良かった。感動した」こんなふうに感じる研修はそうあるものではありません。大西熊本市長の生の声。発災した時の状況。今、現実に動いている震災の復旧と今後の復興計画。熊本県の危機管理防災課(元自衛官)の熱い思いと震災対応どれをとっても素晴らしい研修でした。話を聞きながらメモを取ったので打ち間違いが沢山ありますがアップします。
大西市長
防災減災の取組みやっていたが発災すると何もできなかった。1ヶ月風呂に入れなかった。多くの財産と命を失った。市民の生命財産を守ると選挙で言ったがそれが出来なかった
この記憶を是非地域に持って帰ってほしい。震度7、2回。震度6弱以上7回、余震4000回以上は観測史上初。4月16日1223回の地震(一日中揺れていた)災害対策をする場所は安全か(熊本市は安全ではなかった シャンデリア等)。熊本城壊れた石垣、櫓の部品は全部とってある。熊本城170万人の観光客昼間だった被害者増。文化財の防災対策が必要。
死者53、重傷者648、全壊5508、大規模半壊8474、半壊31225、一部損壊61215被災家屋の調査は多くの人出が必要。被害額1兆6362億円。避難者・避難所の数最大267ヶ所110750人。9月15日全避難所閉鎖。発災から5月の連休過ぎまで大変であった。広場、公園に避難(屋内が怖い)車中泊が非常に多い。5月8日から学校再開したこれが節目となる。子ども達の元気な声で大人もやる気になる。被災者と子供たちの交流や譲り合い。
ロアッソ熊本のホームゲーム再開で盛り上がる(元気を出す効果)火の国まつり3日で48万人を超えた。「何がまつりだ」との批判も多くあった。結果としてやって良かった。イベントは中止するより実行した方がよい。一人一人の暮らしをささえる。市民の命を守る熊本市民病院再生。熊本城の復旧。経済成長を牽引する。震災の記憶を次世代につなぐ5つのプロジェクトを掲げ震災復興計画とした。地震がないことが自慢の熊本市実は明治に大きな地震があった。病院が被災し機能停止した責任は私にある。熊本城20年計画で再建。熊本城ホールの整備。駅の再開発。復興特需は2年間でその後に進める計画。日仏自治体交流会議、ラグビーワールドカップ、女子ハンドボール世界選手権の開催。
災害に対する危機管理意識の低さ。飲料水・食料の備蓄34.2%。行政からの支援が届くまでの最低3日分の食料の備蓄を。迅速な情報発信 情報入手の手段TV61% 携帯電話やインターネット48.6%ラジオが17,5%、18歳から34歳は69.6%。SNSを活用した災害情報の発信。防災時の地域のつながりは自主防災クラブ知らない76.4%。指定避難所の認知度の低さ、知っていた60%、知らなかった37.2%で若い世代は50%を超える。指定避難所とそうでないところで公助の差が出てしまった(苦情多数)。指定避難所だけでは無理。指定避難所34.1% 指定避難所以外36.6%、車中が39.2%物資が届かない。市民による避難所運営は関わったのが17.1%関わらなかった49%。発災後は水と食料の備蓄8割を超えた。
ツイッターで人集め(市長だから信頼度高い)。熊本地震体験集の作成。避難所運営ゲームの開催。九州市長会防災部会で広域支援。全職員が市民の中に飛び込み対話を重ねる。避難所では職員には苦情ばかり。「これまで以上に元気を出して生きることが心の傷痕を癒し、熊本を発展させる。復興を遂げた熊本のまちの姿を、魂となった方々に皆様とともに報告したい」
有浦氏
プッシュ型支援物資は発災から4日後。単品大量方式は良し悪し。防災は予防、応急対応、復旧。防災の本質は予防。風水害では熊本県は一番。早めに明るいうちに逃がす。逃げるタイミングを逃さない。タイムラインにも反映。訓練が旧態依然の展示型(広域・総合・実践)機能別訓練の開始・充実、ブラインド方式の採用。誰が指揮者かわからない。情報グループが情報を占有して共有できていない。転入者は何もわからない。地震関連死89名。
物資は市町村の拠点まで運搬するは嘘であった。避難所運営でいぱいで避難所まで運ぶ職員がいない。国は金は出すが確認はしない 。倉庫・職員不足。リュックにセットでパックで。下着、水、塩、食料等女性・子供目線の準備(ミルク、生理用品など)自衛隊を配布に使うな。罹災証明どう発行?建物被害認定調査=市町村にノウハウなし。災害発生後の行政事務訓練を行っておくこと。熊本県庁内危機管理転出者復帰制度。時系列記録の作成。避難所の住民リーダーによる運営(住民の自主運営)。思い込みは捨てること。災害対応で失敗すると命が奪われる 他人ごとにしないこと。
西川
議会BCPは優先順位をつけて災害時に業務を継続するものである。制定は5議会。避難所運営訓練の実施。
大分市議会
災害対策に関する提言書を市長に提言。大分市議会防災会議平常時に市の防災につて協議、大分市議会災害時対策会議は災害時に応急対策、復旧、復興を協議。発災後は正副議長と議会う運営委員長で委員会の開催を協議。議会運営委員会が開催できない場合は3役で本会議の開会閉会を決定する。シェイクアウト訓練の実施。大分市議会防災会議に地区組織をおく。7つの地区組織、議員はいずれか一つ。
パネル
藤岡 熊本は安心安全なまちだと信じていた。女性視点で避難所へ指示。その後
議長と被災地まわり。指定外の避難所3カ所の状況を確認し対応をした。本震があってから庁舎で対応した。6月議会は1日のみの開催。議員はおのおのの活動だった。市議会の災害対策会議を設置して対応した。
今山 前震は震度3だったため地域の情報収集していた。大した被害もなかった。本震では震度5弱で余震が続いたため危険と判断し翌朝議長と対応した。震度5強からBCPがh発動するため市の災害対策本部からの情報収集にあたった。九州議長会の定期総会が熊本市であったため開催不可能となり、長崎市で開催することとなった。国への要望活動名などを議長会で行った。議長会として各市へ義援金のお願をした。
大西 本震発災直後は執行部も議員も被災者で、議会を開くとか議員に説明するとか、資料を渡すなど思いもつかなかった。その後、議会事務局長で議員対応を依頼した。半日ぐらいして議員からメールが入りだした。情報の一元化を事務局長に依頼。避難所では議員も苦情をいわれていた。議員が話を聞いてくれるだけでありがたかった。議員からはみんなで落ち着きましょうと言ってくれるだけでありがたい。議員はそれぞれの地域の代表として活動してくれるのがいい。避難所運営のリーダー作りをしてもらうと有難い。
藤岡 避難所まわりの毎日だった。避難所では課題は山積している。4月25日に全協を開催し全体で対応した。
大西 発災直後落ち着いてから議会と協議することは大切だ。議会を開くとなると大変なので6月議会を一日してもらったのはありがたかった(専決処分)
藤岡 今は住宅の供給のところまで来ている。
今山 予想以上の人数が避難所に押し寄せ職員での対応が難しくなった。議員の力を発揮するとき。住民にまず密着、寄り添うことが大切。
大西 200数か所の避難所を48人の議員が見ることは不可能。地域との関係性が強い住民を探すことは行政は難しいので、議員の力を借りたい。今回は学校の先生がリーダーシップをとった。避難所のカギの管理は誰がしているのか。窓を割って入って行くしかなかった避難所が多かった。避難所のリーダーは絶対必要だ。議員は地域のことをよく知っている。委員会室も避難所になった。
北川 議会として体系を整えるべき、事務局長がまとめ上げて執行部に通知するような仕組みが必要。災害対策本部をどうするかは市長とともに決めておくべき。防災訓練の在りかたを考え直すこと、発災時現場で大切なことを導き出すこと。
今山 安否確認メールを事務局から送ったが7・8名が反応なかったことが課題だ。個人の議員のスキルアップをはかること。防災士の資格は取るべきだ。大分は44名中20人が取得。
藤岡 熊本市復興計画を議決し基本計画に追加
大西 議員に期待するのはフレキシビルなので、多くの市民の声を集め行政運営に生かしてほしい。BCPを作る際は被災した人を入れることが大切。家に帰れないことの辛さを始めて知った。私は未だ家に帰れない状況で、アパートにせんべい布団でTVを床に置いて生活をしている。予防段階が最も大切だ。危機感の共有が必要だ。
北川 議員は公務災害にならないので気を付けなければならない。今日の話を議会全体で共有する作業が必要だ。
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